もう何年も前に死んでしまったが、実家で犬を飼っていた(便宜上これをタロウと呼ぶ)。
生まれたばかりのときに近所からもらってきて、躾の担当は主に私であった。生長後も比
較的よく面倒を見ていたということもあり、タロウは家族でも私を最も敬愛していた。大
学生、社会人となり実家から離れた後も、たまに帰ると私の帰宅を喜び、滞在中はうっと
うしいほど寄り添ってきた。
ところで、飼犬はその家で下から2番目と自分を位置づけるという。長子だった私には弟が
一人いて、彼が実家では末子となるわけだが、やはりタロウは明らかに自分より下に位置
づけていた。例えば雪が積もったある日、タロウを庭に放すと、はしゃぎすぎたのか滑っ
て積もった雪に埋まってしまった。弟がそれを笑ったところ烈火のごとく怒り、危険を感
じ一目散に逃げた弟を全速力で追いかけていた。そんな弟を私は「犬に舐められるとは情
けないヤツ」と嘲笑していた。
妻の実家でもまた、犬を飼っていた(便宜上これをペロと呼ぶ)。ペロは前述のタロウよ
りも二周りほど大きく、体重は30キロほどもあった。ペロは利口な犬で、一度義父との散
歩に同行したときには、義父の歩行ペースにきちっとあわせて歩き、常に横にピタリとつ
いていた。
これは気性のいい犬だ、と高をくくり、一度妻と私の二人で散歩に連れて行ったことがあ
る。ところが首輪に縄をつないだ時点から明らかに態度がおかしい。フン、とだるそうに
のそのそと歩き出す。まるでおまえらを散歩に連れて行ってやるとでもいわんばかりだ。
かと思えばその巨体をフルに活用し、自分の行きたいところへ引っ張りまわす。こちらが
抵抗し規定のコースに戻そうとすると、今度はゴロンと寝そべってもう動かんもんね、と
不貞腐れたりしてとにかく言うことを聞かない。
おい一体どうなっている、この前と全然違うぞ、と妻を見ると死んだ魚のような目。どこ
かで見たことのある種類だ。「私、末っ子だから下に見られてるんだよねぇ」。そう、弟
と同じ、状況を打開することをあきらめ、受け入れる目であった。そして私はその末子が
連れてきた相手だから、当然言うことを聞く必要などないわけである。ペロ側の理屈で言
えば。
私にとっては初めて経験する末子扱い。これは結構な屈辱だ。そうかかつて弟はこういう
気分を味わっていたのか。2匹とも今はもうこの世にない。ただ何年かたった今でも、たま
にふと思い出す。